『ジンジャーの朝 さよならわたしが愛した世界』

                     

                              
去年、会社をズル休みしてでもこの映画は映画館で観ようと目論んだが、当然そんなワガママは通らず涙を呑んだ映画『ジンジャーの朝 さよならわたしが愛した世界』が早くもレンタルされていたので早速鑑賞。
このかわいい予告を観た時、この映画はきっと多感な二人の少女の視点で核戦争が目前に迫った世界を描いた黙示録に違いない! と思いましてね。そうなってくると困るのが、じゃあ、少女を観るべきなのか、それとも反戦と平和を願う人々の姿を観るべきなのか? これは物凄く悩む映画になるだろうとも思った…。
ところが、実際に鑑賞すると僕の予想を踏みにじる、全く違う方向を突き進む物語だった。

広島に原爆が落ちてきた1945年に二人の女の子が同じ病院で産声を上げた。これは朱色の髪のジンジャーと焦げ茶色の髪のローザの物語である。幼い頃から何をするにも二人一緒のジンジャーとローザとの間には親の指図すらも通用しないプリキュア級の不滅の友情が芽生え、少女二人はこの連れションのような日々が永遠に続くことを夢見ていた。

だが二人の生きる1962年は米ソの対立の深刻化によって、核戦争一歩手前となったギリギリ世界だった。
このままでは世界が壊れてしまう。
ジンジャーはピースマークを掲げて反戦活動に青春を捧げるも、一方のローザは十代にして「あたいは世界が終わるまで男と愛し合っていたい!!」とエスカレーターで大人の階段をひとりで昇って行く。不滅のはずの友情、永遠の連れション、そして二人だけの世界が大きく変わろうとしていた。
この物語は一見すると社会派な難しい映画のように思えるかもしれませんが、実際違うんです。結論から言えば核戦争は背景に過ぎないと思うんですよ。この映画で描いているのは核戦争という背景で少女二人が互いの思想とか生き方の違いですれ違って擦れ合いながら、悩みながら、大人に成長していく過程の一幕なんだと思う。
僕はこの映画から高橋しん先生の最終兵器彼女』に近いものを感じるんですよね。『最終兵器彼女』でも世界中で戦争が始まって地球が壊れそうな時、北海道の高校が恋とセックスでひたすら悩んでいるだけでしたからね。
世界が終わりを迎えそうになると、どこの国の人間もまずは恋とかセックスとか考えてしまうのは世界共通。恥じることではない!!
ひょっとしたら、この映画を撮った監督は熱心な『サイカノ』ファンなのかも。

あと注目して頂きたいのは、このガーリーな『ジンジャーの朝 さよならわたしが愛した世界』という邦題。
原題は『Ginger & Rosa』。原形をとどめなていないほどに変えられていますよね…。でも、この邦題は凄いところは映画を観終えた後に初めて意味が分かるんです。この邦題を考えた人はなかなかセンスありますよ。多分、セカイ系が好きな方ですね。間違いない!!