『かぐや姫の物語』―わたしの罪と罰―

                         

1994年、故郷を奪われて怒り狂ったタヌキたちがタマキンをフルスイングして大暴れする大傑作『平成狸合戦ぽんぽこ』の監督 高畑勲が再び世に送りこんだ『かぐや姫の物語』。誰もが知っているようで知らないかぐや姫の人生をジブリが独自の解釈で再構築。
ババアの授乳で育った絶世の美女が背負った罪とは?

              

「姫が犯した罪と罰」。夢のあるジブリが日本中を期待と不安であおり尽くしたこの週刊誌みたいな宣伝文句に誰も釘付けになった。
見ての通り僕には文学の知識は無いが世間と同様、この言葉にモヤモヤしたものを感じ、職場の昼休みに同僚と姫の犯した罪について勝手に大予想を繰り広げていた。
殴られるようなハードな衝撃を期待して鑑賞。結論から言うと本編には多少オリジナルな成分が注入されているものの内容は誰もが知る、昔話のかぐや姫だいたい同じであった。だからと言って「そうかぁ…じゃあ、『潔く柔く』のチケット1枚。」と自殺よりも愚かな行為に走るのはまだ早い!!
なぜならば、この作品にあらゆる意味で一見の価値があることに何一つ間違いはないからだ。そんな気がする。
多分、まだ本編を観ていない方は内容以上に姫のやらかした罪が気になっていると思いますが。この罪が実はたくさんあって、メンタル面の弱い草食系男子ごときでは絶えられない重み(姫の罪は間接的な殺人から性的なものまで幅広い)を背負って、いつ大爆発してもおかしくないギリギリの精神状態がどこまでも続く生き地獄の連打(これが姫にかせられた罰)。
プ二プニした可愛らしい絵柄で騙されてしまうが、これを実写化したらとんでもないことになるぞ。

こんなヘドロみたいなドロドロした精神的不衛生な内容を中和してくれるのが姫を取り囲むキャラクターたちの存在。
秒単位で急成長していく『ふしぎなメルモ』チックな姫の体質を目の当たりにしたタマキン剥き出しの近所のバカガキたちは彼女にタケノコという称号を与え、実の親でもないくせにタケノコ呼ばわりされたことに大激怒した姫の育ての父である翁はバカガキたちと殺し合い寸前となり、姫の育ての母となる媼は、姫を抱きかかえた瞬間におっぱいに張りが戻って母乳が出るようになる。さすがにこの授乳シーンに興奮するような激安なタケノコをお持ちの映画男子はいないと思いますが、前半の野蛮な田舎暮らしのシーンは心癒されますよ。

ところが、偶然にも巨大な財力を手にして人が変わってしまった翁の手前勝手な教育方針によって一家は都にある屋敷に引っ越すこと事態に、そこで礼儀知らずのオテンバな姫を待ち受けていたのは『アルプスの少女ハイジ』のロッテンマイヤー級の家庭教師だった。拷問一歩手前のメイクを施されたり、スケベな金持ちどもから一方的な結婚を申し込まれたりと選択肢も出口も無い強欲な薄汚い大人たちの世界に足をとられてもだえ苦しむ日々が確実に姫の体を磨滅させていく。そしてラスボスとして姫に立ち塞がった御門って大金持ち男がとんでもないクズで、女の子をアクセサリー程度にしか思わない最低思想を持つ男の風上にも置けない奴が姫の貞操を狙って来たのだ。

あと、終盤に進むにつれて籠の中の鳥と化して孤立していく姫に寄りそうお友達 女童がとにかく可愛い!! 写真が無くて本当に申し訳ない。
女童の特徴を一口に言うとウルトラマン以上にデフォルメされた面構えと、一見すると「あなたも別の世界から来たのですか?」と錯覚を起こす神秘的な体型を兼ね備えたサイドキックなニクい小娘なので、その愛くるしさは是非とも映画館でご確認ください。(『かぐや姫の物語』のキャラクター・グッズの中では女童を扱ったものが多く、いち早く彼女の魅力に目をつけた方はエライ!! 違いの分かる方と御見受けします。)